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熊本地方裁判所 平成2年(行ウ)2号 判決

原告 志垣襄介

〈ほか五名〉

被告 厚生大臣 山下徳夫

被告 熊本県知事 福島譲二

被告ら指定代理人 青野洋士

〈ほか八名〉

被告厚生大臣指定代理人 高谷幸

〈ほか四名〉

被告熊本県知事指定代理人 西徳義

〈ほか一六名〉

主文

一  本件訴えをいずれも却下する。

二  訴訟費用は原告らの負担とする。

事実

第一当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

1  被告熊本県知事は、水俣市漁業協同組合に対し、漁業法三九条一項に基づき、熊本県水俣湾内外周辺における同組合の漁業権の行使の停止を命ぜよ。

2  被告厚生大臣及び同熊本県知事は、水俣湾内外周辺の魚介類が、食品衛生法四条二号に該当する旨告示し、同法四条二号及び同法二二条に基づき、熊本県水俣市の水俣湾内外周辺の魚介類の採捕及び販売を禁止する措置を講ぜよ。

3  訴訟費用は被告の負担とする。

二  本案前の答弁

主文同旨

三  請求の趣旨に対する答弁

1  原告らの請求をいずれも棄却する。

2  訴訟費用は原告らの負担とする。

第二当事者の主張

一  請求原因

1  水俣病発生は、チッソ株式会社水俣工場から多年に亘り、水俣湾や水俣川河口へ無処理で放流された有機水銀をはじめとする十指に余る重金属類によって汚染された魚介類を反復摂取することが原因であるところ、原告らは、右水俣病患者発生地帯に居住し続けている者であり、日常的に魚介類を多食している者である。

2  チッソ水俣工場の無処理の水銀放流量は四〇〇トン前後、水俣病発生の原因の主たるメチル水銀の副生量は約二七トンといわれている。

3  水俣病の最低発症量は二〇ミリグラム/五〇キログラムといわれ、小児水俣病の判断条件では、臍帯のメチル水銀値が一PPMを越えるなど、濃厚な疫学条件を有することが前提条件と定められている。

4  汚染の実態

(一) チッソ水俣工場からの水銀放流開始の昭和七年からわずか七年後の昭和一四年に出生した子供の保存臍帯から分析したメチル水銀は五・二八PPMであった。

(二) 昭和四八年には、猫の胎児性水俣病の疑いのある子猫が剖検されて報告され、更に同年の測定毛髪水銀値で長期微量汚染による発症例が確認されている。

(三) 昭和五六年から同六〇年までの熊本県衛生部の調査その他の報道などによっても、厚生省の定めた魚介類水銀規制値を越えていた魚介類が市販されてきた事実がある。

(四) 母親の毛髪水銀値が一・八二PPM、六・五六PPM、七・〇三PPMでも重症の胎児性水俣病患者が出生している事実がある。

(五) 濃厚汚染による障害が修復した後、微量汚染による再障害が剖検により確認され、臨床的にも長期微量汚染による水俣病発症が確認されている。

(六) 複合汚染による危険性も指摘されている。

(七) 熊本県公害部長が、〇・四PPM以上の魚介類は健康障害を起こすことを認めている。

5  現在水俣湾内外周辺には、総量不明のままの二五PPM未満の水銀汚泥が残存堆積しているなかで、二五PPM以上の水銀汚泥の処理工事は完了したとされているが、厚生省が定めた魚介類の水銀暫定規制値である総水銀値〇・四PPM(メチル水銀〇・三PPM)を越える魚介類が水俣湾内外周辺に生息していることが明らかとなった。にもかかわらず、熊本県の説明によれば水俣湾を漁場として開放するとのことであり、そうすると、不特定多数の住民の食膳に右魚介類が供されることになり、再び水俣病発生の惨劇が招来することは必定である。

よって、被告らに対し、請求の趣旨記載のとおりの判決を求める。

二  被告らの本案前の主張

1  本件訴えは、請求の趣旨の特定を欠き不適法である。

(一) 請求の趣旨第一項について

水俣市漁業協同組合が有する共同漁業権は、水俣湾周辺に限られたものではなく、南北の範囲に限ってみても、南は水俣市茂道神川河口から北は芦北郡隠瀬崎までの範囲の海域にわたるものであるところ、原告らがその停止を求める範囲としている「水俣湾内外周辺」というのが、右共同漁業権の及ぶ海域の全部を指すのか又はその一部を指すのか明らかでない。

仮に、右の「水俣湾内外周辺」が、水俣市漁業協同組合の有する共同漁業権の及ぶ海域のうちの、原告らの主張するところの健康に有害となる魚介類が生息している部分という意味であるとしても、その範囲を客観的に確定しえないから、共同漁業権の停止を求める範囲としては依然として不特定である。

(二) 請求の趣旨第二項について

(1) まず、「告示」を求める部分については、(一)で述べたように「水俣湾内外周辺」が特定されていないため、告示の客体となる「魚介類」が不特定である上、食品衛生法四条二号は被告厚生大臣及び同熊本県知事に対して告示という行為をなすべき作為義務を課していない関係から、原告らが被告厚生大臣及び同熊本県知事に対して、「告示」という名の下に具体的にいかなる行為を求めているかを知ることができないので、この意味でも請求の趣旨の特定を欠くものというべきである。

(2) 次に、魚介類の採捕及び販売を禁止する部分については、「水俣湾内外周辺」が特定されていないため、採捕が禁止される海域及び販売が禁止される魚介類が不特定であることのほか、誰に対して採捕、販売を禁止する趣旨であるのか、また、採捕及び販売を禁止する「措置」の名の下に、被告らにおいて具体的に何をなすべきかを知ることができないから、右請求の趣旨も特定されていないというべきである。

2  本件訴えで原告らが被告らに対し求めている各措置(行政処分)は、いずれも法律上の根拠を欠くものであり、本件訴えは、法律による行政の原理に反して、およそ行政庁に権限がない行政処分を求めるものであって、訴えの対象を欠くものであるから不適法である。

(一) 義務付け訴訟の対象について

本件訴訟は、講学上のいわゆる無名抗告訴訟のうちの義務付け訴訟といわれるものであるが、義務付け訴訟もまた抗告訴訟の一類型であるから、取消訴訟等の法定抗告訴訟と同じく、「行政庁の公権力の行使に関する不服の訴訟」でなければならない。ただ、法定抗告訴訟(但し、不作為違法確認訴訟は除く。)は、既に存在する行政処分に対する不服の訴訟であるのに対して、義務付け訴訟は、行政処分がなされていない段階における不服の訴訟であるため、実際になされた行政処分の存否は問題とならない代わりに、なされるべき行政処分の特定と被告らにおいて特定された行政処分をなすべき権限の存否が検討されなければならない。その意味において、被告らに処分権限のない事項について申し立てられた義務付け訴訟は、訴訟の対象足りえないものを対象としたものとして不適法といわなければならない。

(二) 請求の趣旨第一項について

(1) 漁業法は、漁業生産力の発展と漁業の民主化を目的とする法律であって、食生活上の国民の生命、健康の安全確保をその目的とするものではない。

そうすると、漁業法三九条一項に定められている被告熊本県知事の処分権限は、国民の生命・健康の被害の防止を目的として発動することを予定したものではなく、右目的のためには行使し得ないものである。

(2) 漁業法三九条一項による漁業権の取消等の規制権限は、漁業者の権利を剥奪または制限するという重大な結果をもたらすものであるから、同項の「公益上必要があると認めるとき」という要件は厳格に解すべきであり、漁業権は漁業を営むことを権利として保護するものであることからするならば、右の「公益」は、漁業を営むことを権利として保護することにより侵害される公共の利益、すなわち、その利益の実現のために水面の利用が必要であり、それが漁業権の有する物権的排他性により排除されるのが不都合であるような公共の利益をいうものと解すべきである。

(3) 漁業法三九条一項は、漁業権の変更、取消またはその行使の停止を命ずる権限を定めるに過ぎないところ、漁業権を変更し、取消しあるいはその行使の停止を命じても、そのこと自体は何ら漁獲を禁止する効果を有するものではない。

すなわち、漁業法上の漁業権とは、営業として水産動植物の採捕または養殖の事業を行う権利をいい、定置漁業権、区画漁業権及び共同漁業権の三種類であって、それ以外の漁業については、本来的に漁業法三九条一項に定める処分権限を行使する余地がない。そして、同項に基づき漁業権の変更または取消が命じられたとしても、それによって当該漁業権の内容となっている漁業を排他的に営む権利を有する者またはその権利を行使し得る者がいなくなるというだけで、その反面、何人でも自由にその漁業権に係る漁業を行い得ることとなり、同項に定める処分権限を行使することによっては何ら漁業が禁止される結果をもたらすものではなく、また、行使の停止については、当該漁業権の内容となっている漁業を営むことを漁業調整その他必要な範囲内で一定の期間停止するに過ぎず、これによって直ちに漁獲を一般的に禁止することになるものではない。

(4) 以上によれば、請求の趣旨第一項は、漁業法三九条一項を根拠にするといいつつ、その実質において、同項の定める処分とは目的、要件、効果のいずれをとっても全く異なる処分を求めているものといわざるを得ず、被告熊本県知事の権限に属さない行政処分を求める不適法なものである。

(三) 請求の趣旨第二項について

(1) 食品衛生法四条に基づく告示の請求について

義務付け訴訟も抗告訴訟の一類型であるから、他の法定抗告訴訟と同様に、いわゆる処分性が訴訟要件として要求されると解すべきであるところ、原告らの求めている告示は不特定多数の者に対しある事実を通知する行為であると解するほかなく、そうすると、いかなる形式によるものであれ、被告らが、水俣湾周辺の魚介類が食品衛生法四条二号に該当することを認め、これを一般に周知させる手段を講じたとしても、それは何人の権利義務にも何らの変動を及ぼさないものであるから、右告示に処分性を認める余地はないというべきである。

(2) 食品衛生法四条二号の規定は、有毒有害な食品等の販売または販売目的の採取等をしようとする者に対し、不作為義務を課した規定であって、右の禁止は行政庁の処分を待つまでもないものであり、これにより被告厚生大臣または被告熊本県知事に対して有害有毒な食品の販売等を禁止するために採るべき作為義務を課するものではなく、また、同号自体が何らかの規制権限を定めるものでないことも明らかである。

また、食品衛生法二二条の規定は、同法二条八項に定める「営業者」が同法四条等に違反した場合において、そのことを要件として違法状態を除去しまたは違反した営業者に制裁を課する権限を与えた規定であるが、その解釈、運用に当たっては、それが特定の国民(営業者)に不利益を及ぼすものであることに鑑み、安易に拡張解釈、類推解釈してはならないのはもちろんのこと、実際の運用における要件該当性の判断も厳格になされるべきである。ましてや、国民一般に対し販売及び採捕行為を禁止することまでの権限を定めたものと解することはできない。

以上によれば、請求の趣旨第二項のうち営業者以外の者に対して販売及び採捕禁止措置を求める部分の請求は、同法四条二号及び二二条を根拠にするといいつつ、その実質において、同項の定める処分とは目的、要件、効果のいずれをとっても全く異なる処分を求めているものといわざるを得ず、被告らの権限に属さない行政処分を求める不適法なものである。

3  本件訴えは、義務付け訴訟の認められる要件を充足していないから不適法である。

(一) 三権分立主義の趣旨からして、行政庁の第一次的判断権の行使を待たないで特定の行政処分をなすべきことを義務付けるような形式の訴訟は、司法権の限界を逸脱するものとして、原則として許されず、仮に、許されるとしても、それは、行政庁の第一次的判断権を尊重する必要がないほどに行政庁が一定の行為をすることを法律上羈束され、かつ、裁判所による事前の救済の必要性、緊急性が顕著であって、他に適切な救済方法がないようなごく例外的な場合に限定されるべきである。

(二) 原告らの請求は、前述したように法律に根拠のない行政処分を求めるものであって、いかなる意味においても、それを義務付けられることはありえない。

(三) 更に、漁業法三九条一項及び食品衛生法二二条は、行政庁のなしうる処分として数種のものを定めているが、具体的な場合に、いかなる処分を行うかについては、事案に応じて行政庁が必要な処分を選択してなすべきものとしており、また、仮に、食品衛生法四条二号に基づき告示がされる場合があり、かつ、この告示が処分性を有するとしても、いかなる場合に告示すべきかは法律上何ら定めがない。

(四) 原告らの主張は、暫定的規制値を超える魚介類が生息しているという事実だけから直ちに漁獲禁止措置をとるべき差し迫った危険性があるというにすぎず、右暫定的規制値と危険性の程度について何ら触れるところはなく、その危険性の程度については抽象的な危険性あるいは憶測の域を出ないものである。更に、原告らは熊本県あるいは被告熊本県知事が何らかの行政処分により水俣湾を漁場として開放しようとしている旨の主張をしているが、熊本県にも被告熊本県知事にも、一定海域を漁場として開放する権限はないし、また、現実にも開放しようとした事実はない。

(五) 原告らの請求は、いずれも被告らに対して法律上の根拠を欠く、権限のない行政処分を求めるものであるし、仮に原告らの請求どおり処分したからといって、直接漁獲禁止の効果が生ずるものではなく、右処分に伴う事実上の効果を期待するに過ぎないのであって、このような場合に、司法的にそのような行政処分をなすことを命じる裁判をなすことが唯一の適切な救済手段であるとは到底いうことができない。

4  原告らには、原告適格がない。

(一) 義務付け訴訟も主観訴訟としての抗告訴訟の一類型であるから、法定抗告訴訟と同じく、法律上の利益を有することが訴訟要件となると解すべきであり、義務付け訴訟については、行政庁に特定の処分を義務付けるにつき原告らにおいて法律上の利益を有することが訴訟要件となる。

(二) 右の「法律上の利益」は、原告ら各人の利益でなければならず、不特定多数人の利益は右「法律上の利益」となり得ないものであるが、漁業法にも食品衛生法にも、個別的に国民個々の生命、健康といった個別的利益を保護するものと解される規定はないし、本件訴えは、不特定多数人の食生活上の安全を図るために提起されたものと理解されるものであるから、原告らは原告適格を有しない。

(三) 原告中村雄幸以外の各原告の立場は、原告らがその請求の根拠とする漁業法や食品衛生法によって規律される法律関係とは関係ない立場であるし、原告中村雄幸の鮮魚商であるとの立場は、食品衛生法二二条によって不利益処分を受ける立場ではあっても、同条や漁業法に基づいて利益処分を求めうる法律上の地位とはいえないものであって、原告適格を根拠付けるものではない。

三  被告らの本案前の主張に対する原告らの反論

1  請求の趣旨の特定について

(一) 請求の趣旨第一項について

原告らは、被告熊本県知事が、水俣湾内外周辺に漁業権をもつ水俣市漁業協同組合に対し、その漁業権の行使を停止するように求めるものである。

(二) 請求の趣旨第二項について

原告らは、被告厚生大臣及び同熊本知事が、水俣湾内外周辺の魚介類を採取摂食することにより、水俣病を発症するおそれのあるものであることを告示し、湾内外に生息する危険魚介類を、販売を目的として摂取しようとする者らに対して警告を発するとともに、食品衛生法二二条の制裁権限を明示して違反者の発生を抑止し、万が一これに反するものがあるときは、この法の条項を適切に運用することを求めるものである。

2  請求の適法性について

(一) 漁業法に関して

漁業権には食生活上の国民の生命、健康の安全維持を無視してもそれが設定されて良いほどの優先性はなく、水俣病被害を広げないという公益が、漁業権に優先することは明らかである。確かに、漁業権の停止と漁獲禁止とは等しくないが現在問題となっているのは、漁業権の明確な停止を公言しないために起こっている重大な混乱である。すなわち、非組合員の漁業者、一般の釣り客にとって、一方で危険な魚がいるとも言われながら、他方で漁業権は停止されていない現状が極めて不透明な事態に思われており、そこに少なからぬ人達が、湾内での漁獲をも敢えてするというすきまが生じている。

原告らは、漁業権の停止を求め、以て非組合員の漁業者や一般の釣り客にも、湾周辺における危険魚介類の生息を明確にし、その摂食、販売の危険性を知らせ、事実上の漁獲禁止が実現することを求めているのである。

(二) 食品衛生法に関して

原告らが主張している措置は、熊本県が、昭和三二年にとることをほぼ決定していたものであり、更に、昭和五三年三月一〇日の福岡地方裁判所小倉支部におけるカネミ油症事件に関する判決では、「食品衛生法上行政庁が有する規制権限の行使は自由裁量にゆだねられているが、国民の生命、身体に対する具体的な危険が切迫し、その危険を知っているか、容易に知りうる場合であり、かつ、右規制権限を行使しなければ結果の発生を防止し得ない事情があるときは、条理上、行政庁は個々の国民に対する関係においても右権限を行使すべき法律上の義務を負い、その不行使は国家賠償法一条にいう違法なものとなるというべきである」と判示しているが、これはまさに現在原告らがおかれた状況と被告らが直面している権限行使の義務を明らかにするものである。

3  義務付け訴訟の要件について

(一) 義務付け訴訟が許されないという見解は、訴訟形式の固定化によって国民の権利主張の道を阻害するという裁判国家の理念に反する結果を招き、司法の名において行政国家的行政訴訟を温存するという矛盾を犯すものであり、義務付け訴訟は行政の責任体制の保持と国民の救済の緊急性との比較考量を通じて、積極的に法廷の場に取り入れられるべきものである。

(二) 行政の第一次判断権に関して

(1) 昭和三二年七月二四日、第二回の水俣奇病対策連絡会において、熊本県は、すでに魚介類の採捕禁止を検討し、食品衛生法により行政措置をとることを決定し、更に、同年八月一四日には、公衆衛生課長が湾内の魚は有毒であるとの告示を食品衛生法に基づいて行うことを説明していたが、同月一六日、熊本県は食品衛生法の適用を厚生省に問い合わせ、厚生省は同年九月一一日付で食品衛生法四条の適用はできない旨の回答をし、熊本県は断念した。

(2) 昭和三四年七月二二日には、熊本県知事及び熊本県議会が、政府に対して漁獲禁止区域指定の特別立法措置を陳情し、同年九月二八日には、熊本県議会が再び特別立法措置による漁獲禁止を厚生省食品衛生課長あてに意見書として要望したが、これらは実を結ばず、その後も水俣病患者の発生はやむことがなかった。

(3) 昭和五六年八月には、原告らが、水俣市長に湾内での操業を全面的に禁じることを求め、これを受けて水俣市は熊本県に水俣湾の全面禁漁措置を要請し、水俣市漁協も熊本県に水俣湾内を漁獲禁止にすることを求めた。こうした動きを受けて、熊本県は再び漁獲禁止ができる特別立法を求める意見書を厚生省、農林水産省、環境庁に提出したが、同じ要望は、昭和四八年以降七回も繰り返されているものであった。

(4) 昭和六二年には、原告らが再々度漁獲禁止措置を求めるが、被告熊本県知事はこれに対して実施する意思のないことを伝えた。

(5) このような歴史からみると、被告らがなすべき措置はすでに明確であり、それは現行法規を最大限に利用した水俣湾周辺の事実上の漁獲禁止の実現に外ならず、その具体的な方法が、原告らの請求の趣旨で述べていることである。

(三) 事前審査と事前救済の必要性

水俣湾周辺には、現在も汚染魚介類が生息し、この魚介類が周辺住民の食卓にのぼる危険性が高く、漁場として開放されると、従来に増して汚染魚介類が住民の食卓にのぼることになることは明らかであり、周辺住民には大きな危険性が差し迫っている。

(四) 他に適切な救済手段がないこと

漁業者らによる自主規制に任せるという現状の放置は水俣病被害の発生の継続を許すに等しく、水俣湾の開放は、水俣病被害の拡大に拍車をかけるものといわなければならず、原告らを初めとする水俣湾周辺住民の生命と健康を守るためには、被告らが適切に事態に対処するように司法が判断を示すことが必然となっている。

4  原告らの原告適格について

(一) 被告らの主張は、各々の法律の解釈を故意不当に狭く解釈した結果であり、そもそも不特定多数人の利益と原告ら個々人の利益とが重なることは当然である。仮に、原告らの法律上の利益が不特定多数人の利益と一致しないということになるならば、原告らは明白に現存する環境汚染による危害から自己を防衛する手段を全く失うことになる。

(二) 原告川本輝夫及び同宮本巧は水俣病被害者であり、原告川本輝夫はチッソ水俣病患者連盟の委員長として、原告宮本巧は水俣病認定申請患者協議会の元会長として、他の被害者の救済や水俣病問題全般にわたり、被害者の立場から深く関わってきた者である。

(三) 原告志垣襄介は水俣湾等ヘドロ浚渫工事差止仮処分申請の債権者である。

(四) 原告高倉史朗及び同辻潤は水俣病患者の支援者として、患者とともに運動を続けてきた者である。

(五) 原告中村雄幸は、鮮魚商である。

理由

一  本件訴えの適法性

1  請求の趣旨第一項について

(一)  まず、請求の趣旨が特定されているかどうかについて判断するに、原告らは、被告熊本県知事に対し、水俣市漁業協同組合の熊本県水俣湾内外周辺における漁業権の停止を命ずるよう求めているが、原告らの主張を総合しても、右の「水俣湾内外周辺」というのが、具体的に水俣市漁業協同組合が有する漁業権の及ぶ海域のうちどの海域を指すのかその範囲を客観的に確定することができず、請求の趣旨の特定を欠くものとして不適法といわざるを得ない。

(二)  なお、義務付け訴訟の要件を充足しているかどうかについても判断する。

(1) 行政庁に対し一定の作為を求める訴えについては、被告らの主張するように、行政事件訴訟法に明文の規定はなく、三権分立の原則からして、当該行政行為をなすことまたはなさないことについて行政庁の第一次判断権は尊重されなければならず、裁判所の審理・判断は基本的には事後審査を原則とすることに鑑みると、原告らの本件訴えが無条件に許されるということはできず、行政庁が当該処分をなすべきことまたはなすべからざることについて法律上羈束されており、行政庁に自由裁量の余地が全く残されておらず、事前審査を認めないことによる損害が大きく、事前の救済の必要性が顕著であって、他に適切な救済方法がない場合に限って許容されるというべきである。

(2) ところで、漁業法は、同法一条の規定からすると、漁業生産力の発展とともに漁業の民主化を目的とする法律であって、同法三九条一項に定められている被告熊本県知事の処分権限は漁業調整、船舶の航行、てい泊、けい留、水底電線の敷設その他公益上必要があるというように右法律の目的達成のためにのみ行使できるというべきである。

ところで、原告らの主張から明らかなように、原告らが、被告熊本県知事に対し、右三九条一項の漁業権の停止を求める目的は食生活上の国民の生命、健康の安全確保を図るという目的であって、右三九条一項が予定していないものといわざるを得ないのであって、被告熊本県知事が右三九条一項に基づいて水俣市漁業協同組合に対し、水俣湾内外周辺における同組合の漁業権の行使の停止を命じることについて法律上の根拠を欠くものと解するほかない。

(3) したがって、原告らの請求の趣旨第一項の訴えは、義務付け訴訟の要件を欠くものといわざるを得ない。

(三)  以上によれば、原告らの請求の趣旨第一項の訴えは、不適法である。

2  請求の趣旨第二項について

(一)  まず、請求の趣旨が特定されているかどうかについて判断するに、前述したように、原告らの主張する「水俣湾内外周辺」というのが、具体的にどの海域を指すのかその範囲を客観的に確定することができないものであるから、「告示」の客体となる「魚介類」も、採捕及び販売が禁止される海域及び販売が禁止される「魚介類」も不特定であり、請求の趣旨の特定を欠くものとして不適法といわなければならない。

(二)  なお、義務付け訴訟の要件を充足しているかどうかについても判断する。

(1) 原告らは、被告らに対して、食品衛生法四条二号に該当する旨の告示をなすことを求めているが、同条は、有害あるいは有害な疑いがある食品等の販売等の禁止を規定しているものであって、被告らに告知をすべき作為義務を課した規定ではないことが明らかである。

(2) 原告らは、更に、被告らに対して、食品衛生法四条二号及び二二条に基づき、採捕及び販売を禁止する措置を講じるよう求めているが、前示のとおり同法四条二号は被告らの規制権限を定めたものではない。

そして、同法二二条も、同法二条八項が定める「営業者」が同法四条等に違反した場合に、被告らに対して、食品衛生上の危害を除去するために必要な措置をとるよう命令する権限を付与したものであることが明らかであって、国民一般に対して採捕及び販売を禁止することまでの権限を付与したものではない。そうすると、右各条に基づき、被告らが原告主張の禁止措置を講ずべきとする法律上の根拠はないものと解するのが相当である。

(3) したがって、原告らの請求の趣旨第二項の訴えも、義務付け訴訟の要件を欠くものといわざるを得ない。

(三)  以上によれば、原告らの請求の趣旨第二項の訴えも、不適法である。

二  そうすると、その余の点について判断するまでもなく、本件訴えはいずれも不適法であるから、これを却下することとし、訴訟費用の負担については、行政事件訴訟法七条、民事訴訟法八九条、九三条一項を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 足立昭二 裁判官 大原英雄 横溝邦彦)

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